シャドウ・ダイバー

海禁断症状

 最近また「海見たい禁断症状」がでてきた。思えば前回海に行ったのは、ひと月前の「なっちゃんと2人で九十九里ドライブ」が最後である。近々、湘南あたりにでも行きたいなあ。シャドウ・ダイバー 深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち
 だからという訳ではないが、久々に海が題材のノンフィクションを読んだ。「シャドウ・ダイバー」である。ハードカバー530頁の大作だが、あまりの面白さにイッキ読みしてしまった。新聞の書評で読んで図書館で予約し、先週末に借りたものだ。

海外ドキュメンタリー好き

 僕は、海外ものの、饒舌なドキュメンタリーが好きである。スカパー!のディスカバリーチャンネルだけ単独で契約しているくらいだ(最近時間がなくてほとんど見てないけどね)。日本の「Nスペ」も好きだが、こと情報量に関しては圧倒的に海外ものが勝っている。何せ画面に出てくる人物が皆やたらと饒舌で、どいつもこいつも素人なのにしゃべりっぱなし。この本も、それと似ていて、とにかくディテールにわたる描写が圧巻だ。
 簡単に言うと、沈没船を専門に潜る「レック・ダイバー」が、記録に残っていないドイツのUボートを発見し、その謎を解き明かしていく過程を描いているのだが、とにかくドラマティックで、そこいらの冒険映画なぞ顔負けなのだ。そもそもレックダイビングというのは、常に死と隣り合わせのスポーツだ。70m〜90mも潜るため、高圧で血液に空気中の窒素が溶け込んでしまう。そのため、水上に上がる前には、数時間も「減圧」のため水中にとどまりながらゆっくりと上がらなければならない。さもないと、窒素が血液中でアワになり、血液が凝固して死んでしまうのだ。実際にこの本の中でも、酸素が足りなくなったり、パニックになって一直線に水面を目指してしまうなどして、仲間たちが3人も死んでいく。
 生死をかけたドラマに、男たちの情熱と、家族をめぐるドラマがからんで、とにかく目が離せない。最後にはなぞが解けて、Uボート乗組員の遺族たちに会うのだが、それがまた感動的。自分は人としてどう生きるべきか、とまで考えさせられてしまうのだ。

死との距離感

 特に感じたのは、アメリカ人にとって死は、日本人に比べて相当身近なのではないか、ということだ。考えてみると、アメリカはベトナム、アフガン、イラク…といつも戦争していて、たくさんの人が死んでる。スペースシャトル事故なんかでも死者は出ているし、日常でも銃による死者が沢山いるわけだ。
 このノンフィクションの中でも、ダイビングでの死以外に、主役の男性の妊娠した恋人が元の夫に射殺されてしまったりとか、いろいろな形の死がでてくるのだが、それが思いのほかさらりと描かれるあたりに、文化の違いを感じると同時に、良し悪しは別としてアメリカのフロンティア精神の源泉を見る思いがするのだった。
 最近は、何でもケータイやらパソコンやらで用が済んでしまい、生きているということの実感がなかなか得られない気がするが、この本を読んで久々に人間っていいなあ、と感じた。
 でも、レックダイビングをお前が体験しろといわれたら、即断りますね。