okasurfer2007-08-04

夏本番

 やっと明けましたね〜梅雨!外は超蒸し暑くて、ほとんど「あつ死ぬ」(注:あつじぬ、と発音)ような陽気だが、やっぱり夏は暑くなくちゃね!家事を済ませて、久々3人で「駒プー」に繰り出し、安上がりな夏レジャー満喫である。
 すっかり体がクールダウンしたのを見計らい、すかさず駒沢公園前の「博多一風堂」にてアツアツのとんこつラーメンを補給、ふたたび汗だくに。すぐに駒沢公園に舞い戻り、子供用のレンタル自転車で、なっちゃんの補助無し訓練を敢行。
 ここ数週の土日短期特訓が功を奏してか、だいぶ乗れるようになってきたので、炎天下走り回るなっちゃんの自転車に伴走し、さらに体内の汗を搾り出す結果になった。さすがに疲れた〜!
 しかし、ここでめげてはいけない。何せ夏は短いのである。一瞬たりとも無駄にできん。図書館に出かけてなっちゃんの本を6冊借りて帰宅、カツオのたたきとナスとトマトの冷たいサラダ+すいかで、正統派夏メニューの夕食。
 夕食後は、先日に引き続き、近所の別の広場で開かれた盆踊り大会に乱入。またしてもいつものメンバー結集である。
 なっちゃんはお友だちとしばし踊ったあと、はじめて「わたあめ」にトライした。仲良しのMちゃんと半分こだけどね。
 9時過ぎに帰宅したなっちゃん、さすがにグロッキーで、すぐ夢の中でありました。

日本人の心の歌

 過日、作詞家の阿久悠さんが亡くなった。
 追悼番組なんかを見るともなく見ていたのだが、改めてその作品のすばらしさに圧倒されてしまった。
 最近の歌の歌詞は、特にA級戦犯小室哲也あたりから、心に残るものがなーんにも無い、ただの自己愛と「私」のオンパレード、つまらん情景の工夫無き羅列への堕落が決定的になってしまったが、彼の歌詞に詠われた情感の豊かさをみて、自戒を込めつつ改めて日本語の劣化を再認識させられた。阿久氏の歌詞は、本当に情景が目の前に浮かんでくるような、ストーリー性に富んでいる。
 それにしても印象的だったのが、生前の氏の含蓄ある言葉の数々である。中でも、「最近日本人はひどく不機嫌である。人は、恵まれた境遇になればなるほど、不思議と不機嫌になり、何にでも文句を言う。口はばったい言い方だが、自分は、歌の力で、少しでもそれを解きほぐしたい」というような趣旨の発言をされていたのには、深く頷くのみであった。
「ただ不幸だ、悲しいではなく、その中の「切なさ」を、美しい日本語で描く」という詩の作り方がどれほど支持されたのかは、多くの日本人の心に知らず知らず刻み込まれた幾千の歌詞が証明している。
 ご冥福をお祈りします。