松岡農林水産大臣が亡くなりました。
 彼の死について、やはり書かずにはおれない。
 松岡氏のニュースについては、これまで特に関心を持っていなかった。ほとんど、ナントカ還元水の人で、いろいろ突っ込まれて大変だなとか、つまらない言い訳をするなあ、とか思ってた程度だ。あるいはその外見や物腰から、ふてぶてしそうな古いタイプのオッサンだ、くらいの認識は持っていたと思う。
 自分は一風変わった人間だと自認しているので、誰の共感も得られないかもしれないが、彼の自殺の報道に接し、何だかひどく物悲しい気持ちになるとともに、正直後ろめたさのようなものを感じた。
 彼のことをろくに知りもせず、一人の人間である彼を、あたかもモンスターであるかのように決め付けていなかったろうか。身内をあそこまでボロクソに言われ続けた家族の気持ちはどんなだったか。一体、彼は6通もの遺書を、どんな気持ちで書いたのか。農水省職員からのたたき上げで、地道に大臣まで辿り着いた人間が、故郷を離れひとり議員宿舎で命を絶たなければならなかった、その無念さはいかばかりであったか。

 このようなものの見方は、物事のある側面を分析するにあたり、見る者の目を曇らせる不要な視点なのかもしれない。
 でも、人間は所詮弱い生き物である。僕らは彼を高みから声高に非難できるほど高潔な人間だったことがあるだろうか。

 いつも「思いやりが」とか「人の心が」などと評論するのが大好きな報道ステーションのキャスター、コメンテーターは、この事件に関して、単に政権運営上、あるいは政治のパワーバランス上乱れが生じた、という程度の実にあっさりしたコメントをしていた。冷血な人たちだと思った。心底あんな風に思ってる人がいたとしたら、そういう人間とは友達になりたくない。せめて彼らなりの後ろめたさの表現だったと信じたい。