見知らぬ人とのコミュニケーション

爽やか!

 帰りの電車で、座って文庫本を開いたら、栞を床に落としてしまった。すると、隣に座っていた若い女性が、何のためらいもなくすぐにそれを拾って、「にこっ!」と笑って渡してくれたのだ。いやー、爽やかでしたね。何がそんなに印象的だったのかって、その「にこっ!」であります。無表情でもなく、卑下してお辞儀しながら渡すでもなく、まっすぐ目を見て「にこっ!」。
 われわれ日本人って(…という風に括るのは何か傲慢な感じでイヤなのだが)、見知らぬ人とのコミュニケーションがひじょーに下手である。海外(欧米しか知らん)に行くと、あけた扉を押さえててくれたりとか、ちょっと体が当たっただけですぐ"SORRY!"って言われたり、道で地図を見てたらすぐに声をかけてくれたりするし、子どもには皆すごく優しい。それに、旅行者にも気軽に話しかけてくる。「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)
 その点、わが国で電車に乗ってると、皆殺気立って顔が怖いし、足を踏んだとか肩が当たったとかすぐケンカするし、誠にギスギスしている。そのくせ、身内同士だと妙に気が大きくなってバカ騒ぎしたり馴れ馴れしくしたりするのがイヤである。ちなみにこのあたりのテーマに興味のある向きは、前にも紹介した中島義道センセイの著作「対話のない社会〜思いやりと優しさが抹殺するもの」を読むべし。昔タイトルに惹かれて手に取ったら、非常に面白かった。一筋縄の洞察でないところがさすがです。
 前置きが長くなったが、要するに、落し物を拾って「にこっ!」と渡してくれたのがとても印象的だったというのは、あまりに珍しかったということなのだろうか。ちなみにこの女性、金色のスカートはいて携帯メールとにらめっこの現代女性でありました。まあワタクシも日本男児であるが故、この手の「にこっ!」はあまり得意でない。思えば先週、財布をおっことした人を追っかけて手渡したが、笑顔はなかったな。でも、普段努めてお年寄りに席を譲るべく心がけているので、許してね。

でかい流れ星!

 自転車に乗って駅から自宅に向かう途中、南西の方角にめちゃくちゃ明るい流れ星を見た。こういうの、「火球」っていうんだったっけ?昔、昼間に見たことがあって、その時は新聞にも載ったけど、今日のはどうかな。あれだけはっきりしてたら、願い事×3回ってのもあながち無理じゃなさそうだ。でも咄嗟のことで、願い事どころじゃなかった。
 でも、一体何を願うだろうね。