さよならM
親友Mの葬儀が済んで一週間が経った。
彼がもうこの世にいないという現実感は、まだない。
携帯電話のメモリーを呼び出して電話すれば、返事が返ってくるような気がする。
ついこの間話したばかりの彼が、狭苦しい小さな木の箱の中に目を閉じて横たわっているなんて、本当に嘘のようだった。何か悪い夢でも見ているような感覚とでもいうのか。静かに目を閉じている彼は、とてもきれいな顔をしていて、声をかければ答えてくれそうだった。
この一週間、独りになると、彼の声や人懐っこい笑顔、本当に数々の思い出がよみがえってきて、めそめそしていた。でも、いつまでもそんな訳には行かない。
友人でもある奥さんの痛みは、僕らに想像することは出来ない。僕らにできることといえば、ただ痛みを共有すること、そして彼を忘れないことだけだ。
彼は有言実行の男だった。いつも数歩先を歩いていた彼を追いかけることはもうできないが、少しでも近づくことができるよう、一歩一歩、歩きつづけるしかない。
夏に撮った写真がある。高原の湖で、真っ白なスワンボートに乗ったMの家族が、楽しそうに手を振っている。ちょっと太り気味で、オッサンのようなファッションセンスのMが、最高の笑顔で笑っている。
何枚もある写真の中に、一枚だけ、去って行くスワンボートの後姿を写したものがある。後ろから写したので、M達の顔は映っていないのだが、寂しげな白鳥の後姿が何か印象的で、消さずに取っておいたものだ。
今は、その白鳥の後姿が、あまりに悲しい。さよなら、M。