バイブルの続編は?

 キラーストリート (通常盤)久々に、サザンの新しいCDアルバム「KILLER STREET」が発売になった。2枚組みで、ナント30曲も収録されている。買うかどうか決める前に、とりあえずTSUTAYAでレンタルして聴いてみると、知っている曲もたくさん入っていてなかなか良い。…が、う〜ん、何かが足りない。何だろう。
 サザンは大好きなバンドだ。20台前半の頃、カーステレオにはいつでもサザンか渚のオールスターズのカセットが入ってた。本当にテープが擦り切れるほど、何度も何度も聴いた。
 僕の中でサザンの最高にして最後の傑作は、「真夏の果実」だ。駄作との悪評高い映画「稲村ジェーン」は見なかったものの、短い夏の輝きや喪失感を感じさせる歌として、これを超えるものはないと言っていい。
 でも、それ以降のサザンの歌って、やっぱり何かが足りないのだ。曲は悪くないんだけど、どことなく「狙って」作っている感じがするとでもいうんだろうか。
 やっぱり、サザンに限らず、本当のミュージシャンの若い頃の歌というのは、魂のほとばしりを歌に表したようなところがあって、荒削りでも聴く者の胸に迫るものがあった。それが歳を取ると、技巧に走ったり、売れ線をなぞったり、新しいことに無理やりトライしても馴染んでなかったりと、やっぱり「大人」になってしまうんだろう。それは、昔からそのミュージシャンが好きで、自分を代弁してもらっていたと自認しているファンにはやっぱり伝わるもので、それでどことなく空疎な感じを持つのだと思う。
 実はこの感じ、別に初めてのものではない。高校時代からのバイブル、佐野元春の新作を近年聴いたときもそうだった。BACK TO THE STREET佐野元春ほど、自身の成長なり変化が曲に現れるミュージシャンもいないと思うが、それだけにこちらがついていけなくなったのも早かった。要は、彼自身がかつて名曲「情けない週末」で歌っていたとおり、「生活という名のうすのろ」に絡め取られてしまったのだろう。芸術家って、つらいんだなあ。
 けど、それってミュージシャンの側だけでなく、聴いてるこちらも変わったということなんだろうな。今の若い人たちは、どんな音楽に自分を投影しているんだろうね。